踊る大捜査線 =THE MOVIE 3=
ヤツらを解放せよ!
採点:★★★★☆☆☆☆☆☆
2010年9月18日(映画館)
主演:織田 裕二、柳葉 敏郎、深津 絵里、ユースケ・サンタマリア
監督:本広 克之

日本の実写映画の興行記録を打ち立て前作から7年振りにこのシリーズが劇場に戻ってきた。公開前からそりゃもう、期待大で待っていたわけだが、ファンの反応がひどい。その真偽を確かめようと一時帰国の際に見ようと思っていた作品。

係長に昇進した青島は、3日後に控えた新湾岸署への引っ越しに向けて張り切っていた。そんな折、管内でバスジャックなどの不可解な事件が続発。青島やすみれが捜査で駆け回っている間に、引っ越しの混乱に乗じて湾岸署から3丁の拳銃が盗まれてしまう。
犯人は、盗んだ拳銃で無差別殺人を行うと脅しをかけ、青島が過去に逮捕した犯罪者たちの釈放を要求してくる。さらに彼らは、新湾岸署の最新セキュリティ・システムを逆手に取り、建物を占拠し、多くの署員を、署内に閉じ込めてしまう―――。

ファンの怒りはごもっともな作品でした。簡単に言うなら、"踊る"の売りというか、これがあるから"踊る"という要素が大幅に消されてしまっている。思いつく主だった要素を挙げるとすれば・・・
1:警察官僚と現場の刑事たちの対立構造
2:青島と室井の階級を超えた信頼関係
3:青島と和久という2つの時代の刑事背景の融合
4:1人1人の人物描写から小道具まで徹底的にこだわる綿密さ
5:複数の事件が絡み合いながら1つの事件へと結びつくジェットコースター的展開
6:スリーアミーゴスを中心とした緩い笑い
7:人間臭さ満天のドラマ
8:作品を盛り上げるために絶妙なタイミングで挿入される絶妙なBGM

この中で最も"踊る"を"踊る"たらしめている要素だと思われるキャリアとノンキャリの対立の描写が、最も破綻していたことが今作品の一番のマイナス要素だろう。
今までなら"青島vs人情のない管理官"という単純明瞭な対比があったのだが、そこに調整役の鳥飼という新しい役割を置いたことで、キャリア組の不条理な決定に悩む現場刑事の苦悩と葛藤を描くことができなくなり、その結果として、2つ目、3つ目の要素でもある、青島と室井、あるいは青島と和久といった人間関係に深みを与えることにも失敗してしまっている。
あるいは室井が青島との約束を守り、現場が自分達の信念に従って働きやすくしてきた結果としての鳥飼の登場だったのであれば、一倉ももう少し現場に対して柔軟な姿勢を見せるべきだろう。

その鳥飼にしても、非常に優秀なキャリア組の一員として登場したわりに、犯人たちのあからさまなトラップに簡単にひっかかり、負傷してしまうというのは、観客としては冷めてしまう。
4つ目の人物描写という面において、あまり掘り下げられていないという印象を受けたし、とりあえず出しておきましたというキャラが多すぎる印象もある。
例えば過去の犯人たち。小泉今日子以外の犯人はわざわざ画面に出す必要はないし、木島刑事にしても他のキャラで良い。さらに言えば真下も不要。事務所のトラブルで水野美紀演じる柏木雪乃が消されてしまったのだから、思い切って真下も今回は出さなくても良かったのではないだろうか?
さらに言えば和久の甥という設定で登場した伊藤淳史も正直、必要ない。和久と青島という関係を続かせるために登場させたのだろうが、和久ノートだけあれば、甥の登場は不要といった程度の掘り下げしかなく、単純に青島が和久ノートを糧として刑事を続けているという設定で十分である。
新城や沖田といったキャラは登場させていないのだから、このあたりのキャラについても割り切って、もっとキャリアとノンキャリの対立描写に深みを持たせて欲しかったというのが正直な感想。

5つ目の要素である複数の事件も、とりあえず事件は起きているが、1つ1つの事件が結びつかないため、ジェットコースター的なワクワク感がない。あくまでも単発で事件が起きているだけであり、最初のバスジャックと銀行の金庫の解放は陽動作戦として描いたのだろうが、引越しのドサクサにまぎれて拳銃を盗んだのであれば、この2つの陽動作戦はなくても良かったのではないだろうか?
6つ目の要素である緩い笑いという点においては、唯一シリーズ通してレベルを落とさずに楽しめた。青島重傷説とスリーアミーゴスを中心に今まで通りに笑いを取っており、中でも拳銃を盗まれたことに対するスリーアミーゴスの記者会見シーンはとても笑わせてもらった。
7つ目のBGMに関しては、シリーズのテーマ曲とも言うべきRhythm and Policeのかかるタイミングに問題があるし、新しく作られたBGMもいまいちパッとしない。タイミングの問題もあるし、曲そのものがイマイチということもあり、映画における劇中音楽の重要性を悪い意味で教えてくれる作品になってしまっている。

というわけで、"踊る"らしさは笑いの要素を除いて、消されてしまった最新作だが、その他にもいくつかマイナス要素がある。その中でも非常に気になった2つを挙げておきたい。
1つ目は青島が閉鎖された新湾岸署の壁に木のくいを叩き続けるシーン。その前にレスキュー隊がバーナーなどハイテク技術を使っても駄目だった扉に、時代遅れもはなはだしい、木はないだろう!?感動させよう!ってのが見え見えで、その後に「俺に部下はいない!いるのは仲間だけだ!」なんて台詞を言われても感動はしません。シリーズの前2作は映画史に残る名言があっただけに、この作品でも同じことを・・・と狙ったのでしょうが、これならやらないほうが良かったです。
そしてもっとも衝撃的だったのが、すみれの最後の台詞、「死んじゃえば良かったのに・・・」。どう考えても、すみれは、あの状況であの言葉は言わない。かつて真下や青島、そして自身も重傷を負い、生死をさまよった彼女が言うべき台詞ではない。これは脚本家のミス以外何ものでもない。

といってもこれが、"踊る"以外の作品であれば、作品としては普通に楽しめる作品というのが個人的感想でもある。"踊る"の最新作としてではなく、「ハンニバル」のような天才的カリスマ犯罪者をテーマにした作品として見る分には、決して傑作ではないが、駄作ではないレベルの作品ではあると思う。
カリスマ犯罪者、日向真奈美が最後に言った「私は死ぬことによって、たくさん生まれる」という台詞。この台詞は非常に深く、カリスマ性を具現化した台詞でもある。この台詞を否定できるだけの台詞を青島が言えれば、よりドラマとしては面白いものになっていたのかもしれないが、幸か不幸か"踊る"でそういった高尚な犯罪心理学は不要である。観客が求めるのは、そこではないのだから・・・。

結論としては踊る大捜査線3はなく、"新"踊る大捜査線にタイトルを変えて、今までのシリーズとは異なる作品ですと言うことにしておけばよかったのに・・・と思わずにはいられません。

一口コメント:
踊る3ではなく、"新"踊ると思って見る分には傑作ではないものの、駄作でもない作品として見れる作品です。

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